箱根を観る

今年に入ってめったに感動することが少なくなってしまったのだが、箱根駅伝だけはぐっと来た。箱根駅伝の年齢をとうとう追い越してしまったことも関係しているのだろうか。国士舘大学の襷がつながらなかったのを見て、泣きそうになってしまったのだ。

 

もうしばらく真剣にスポーツをすることが無くなった。最後にレースに出たのは2年前だし、本当の真剣勝負となるといつまで遡ればいいのかわからない。それでも、スポーツと言うもの事体は昔より好きになっているような気がする。戦いう場所から降りたからこそ、素直にリスペクト出来るようになってきた。典型的な部活少年だった頃から考えると大きな進歩だ。

 

特にレースは、ラン競技は尊いと思う。普段全人類が行っている二足歩行を極力早くすることだけに全神経と体力と人格を注いでいるのだ。あまりに変で、強烈にしんどいことだ。よくやるなあとも思いつつ、それがとてつもなく楽しい事であることもなんとなくわかっているので、同時に羨ましくもある。純粋である物は何でも美しい。だからこそ、思うような結果が残せなかったアスリートを見ると、完全に他人事ではあるはずなのに、とても心が痛む。その日の結果が全てじゃないし、一つの競技、もしくはスポーツと言う行為のみが全てじゃないのは確かなのだが、その瞬間、アスリートにとってはそれが世界のすべてなのだ。それを思うと悲しいし、やはり同時に羨ましい。

 

そんなレースを見た後は、自然とジョグにも力が入るのだが、ほとんどの場合オーバーペースで、走り切れずに終わってしまう。頭だけはアスリートの理屈に戻っても、心と体はなまったままなのだ。いつか戻れる日が来るのだろうか。