読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

眼鏡を買う

今日、眼鏡を買った。前回眼鏡を買ったのは確か高校生の時だったはずなので、眼鏡を買うのは実に5.6年ぶりだ。結論から言うと、これがじつに面白くなかった。

 

もともと買い物は結構好きだ。エンゲル係数が高いタイプの怠惰貧乏学生なので大きな買い物はまずしないし、ファストファッションのショップに行った時でさえ、手にするのはほとんどセール品だけど、物を選んだり手に入れたりするのは好きなので、空いてる時間はよく本屋や服屋に行く。お金を払うのは好きじゃない。だからパチンコなんかは本当によくわからない。要はお金を払って大音量で映像を見せられているのだから家でYoutubeで事足りるんじゃなかろうか。

 

物を買うときの喜びは、絶対的なものと相対的なものがあると思う。言い換えるならば本能的な喜びか社会的な喜び、集めるという行為自体に喜びを感じているか、物を集めた後の自分に喜びを感じているか、ここで大きく「買い物人」としての資質が分かれると思う。前者は買い物によってコレクションの強化し、後者は自らのステータスの強化を望むのだ。そして僕の場合は完全に後者だ。本質的に日常の整理整頓が極端に苦手なので、そもそもコレクションが能力の問題で出来ないのだ。高校時代の卒業アルバムは昔のJリーグ選手名鑑と共に机の下に平積みになっているし、内定証明書と椎名誠は同じ棚だ。物を集めること自体に喜びを見出す素質は僕にはない。

 

前者が集めたものを眺めるのに対して、後者はそのものを集めた自分に酔う。つまりは「こんなに良いシャツを買って身にまとっている自分はなんて格好いいんだろう」ということだ。そこには完全に自分の物差しで測った優越感がある。だからこそ、自分の得意分野でない買い物は楽しくないのだ。買うモノ事体への興味があるのであれば、得意不得意にかかわらずある程度は楽しめるはずだ。しかしそれが自らのステータスを上げるための行動となってしまったら、プラス分の見極めが難しい未知の分野の買い物は、むしろ怖い行為に早変わりしてしまう。慎重さは時に成功を導くことはあれど、臆病になって上手くいくことなんて無い。結果、いい買い物になるはずもなく、今現在僕はまだ家族に眼鏡を変えたことを指摘されていない。

 

結局のところ、もっとオープンに物事に接するしかないのであろう。眼鏡も、しっかり下調べして、店員さんに良し悪しをちゃんと聞いて、そのものに興味を持てばきっと買い物も楽しいはずだ。実際、少し挑戦した柄っぽい眼鏡で、気に入ったものは何本かあった。今日はお金が無かったから手が出なかったけど、少し余裕が出来たらまた眼鏡を買いに行ってみよう。そしてそれまでに、眼鏡を置く場所を部屋に作らないと。机の上の片付けからだ。理想の買い物への道のりは長い。